2018/04/22

コーチの洞察力と想像力、そして選手の陸上力


種目に関係なく、陸上競技のコーチに最も必要とされるもの、それは洞察力と想像力であると私は考えています。
20代の頃、私は母校の女子長距離選手と中距離選手をサポートしていました。
その頃から、そして約20年が経過した現在も、高校の駅伝部や実業団の長距離チームなど、日本の長距離界に最も欠けているものがこの2つであると感じています。

選手は各々、性格や体のバランスが異なります。
それだけでも全員の練習メニューが同じで良いはずがありません。
短距離、中距離、跳躍や投てきなどの種目であれば、選手それぞれでトレーニング内容が異なるケースが多くなります。
しかし長距離の場合、特に駅伝を目指しているチームでは、同じメニューを選手たちに課しているケースが圧倒的に多い。
練習を分けている場合でも、ベストタイムによる組み分けや、故障者の別メニューがある程度です。
例えば、まるでタイプの異なる長距離選手が同じ大会の10000mを目標レースとしている場合、この2人は同じアプローチで良いのでしょうか?
そう問われてみると「そんなはずはない」と思えるのではないでしょうか。

受験勉強で考えてみると分かりやすいでしょう。
同じ大学の同じ学部学科を目指している受験生でも、英語が苦手な人もいれば古文がダメな人もいる。
人によって合格までの過程はまるで変ってくるはずです。
そしてしっかり勉強している人ほど、自分は何が苦手で何が得意かを事細かに把握しています。
これが陸上競技の場合であれば、基礎トレーニングの段階で何が得意で何が苦手かを、コーチと選手は把握することが出来ます。
その際、必要とされるのが「洞察力」です。

大雑把な洞察力しか持ち合わせていないと、「あいつはスピードがない」だとか「インターバルが苦手」といった誰でも分かるようなことしか見抜けません。
しかし接地ひとつを見ても、選手によってまるで異なるのです。
足を前に蹴りだすときの向きや角度など、実に様々です。
そうした動きの細部まで見えてくると、動きの特徴から、強化しなければならない部分はどこか、どこが疲労しやすいか…といった課題を見つけることが出来るようになってきます。
そして、それは改善できることなのか、改善が難しければ怪我をしないようにケアする方法はあるか、どう強化していけばいいのか…というように、具体的なトレーニング内容の考案につながっていきます。

メンタル面でも同様です。
性格を含む内面的なことは競技に大きく影響してきます。
ラストスパートが苦手なのは体力面ではなく、精神面に原因があるのかも知れない…
スタート前にひどく緊張してしまう選手にかける言葉で効果的なものは何か…
メンタル面まで選手の状況をしっかり洞察出来ていれば、練習中の声掛けは「ついていけ」「離れたら勿体ない」といった目に見えるものではなくなってくるはずです。

つまり、選手の個性をどこまで把握できるか、洞察力が深ければ深いほど、その選手にとって最適なトレーニングを考案する材料が多くなるのです。
考案する際に必要とされるのは想像力です。
どこをどうすれば強くなるのか…選手の未来の姿を想い描くことを繰り返していると、はっきりとした画が見えてくることがあります。
想像が確信に変わる瞬間です。
選手が強くなった後の姿がはっきりと見えているので、練習メニューを提案する際、それをやるこでどんな効果が期待されるのか具体的に説明できます。
これは、前回の記事でお話しした「結果を約束する」ことに繋がります。
選手に結果を約束するには、洞察力と想像力が必要になるのです。

洞察力や想像力を養うには、陸上競技の解説本を数多く読むのも一つの手です。
知識は洞察の材料です。
また、書かれていることが正しいとか間違っているということではなく、たくさんの考え方があること、同じことを伝えようとしているのに言葉がまるで違うことを知ることで、陸上競技の表現の幅を拡げることが出来ます。
練習中の声掛け、練習内容の説明も、状況や選手の性格によって違ってきますから、多くの表現を身に着けておくことはとても重要です。

もうひとつ、レースの映像を複数の選手やコーチと見ながらディスカッションすることもお勧めです。
スタート前の表情から何を考えているのか、この選手が立てたレースプランはどんなものだったか…同じ映像から様々な意見を出し合うことで異なる視点、考えを体験することが出来、それは自己の表現の幅が拡がることに繋がります。
洞察と想像は、まだ思考の段階ですから表に出るものではありません。
思考を表層化したものが言葉や動作、つまり表現です。
表現の幅が拡がるということは、思考が深まることに他なりません。

以上を線でつなぐとこうなるでしょうか…
【知識→洞察→想像→実行(表現)→結果】
これを一言で表そうとすると、私の脳裏には「陸上力」という言葉が浮かんできます。

早稲田大学駅伝部の監督を経て、住友電工の監督をしている渡辺康幸は、著書「箱根から世界へ」の中で「陸上力」という言葉を使いました。
「陸上力」の高い選手は、すべてを説明しなくても内容を把握してくれるし、自ら考え実践してくれる。
その反面、指導者に言われたことをこなしてきただけの選手は、なかなか理解してくれず、やるべきことを1から10まで指示しなければならない。
私が述べてきた洞察力や想像力というものも、まさしく「陸上力」だと言えます。
「陸上力」が高い選手は、自分自身をコーチングすることも出来るようになるでしょう。
そうなれば、選手とコーチ、2人のコーチングで前に進むことが出来る。
コーチから選手への一方的な指導ではなく対話、つまり本来の意味でのコーチングを展開することが出来ます。
前回の記事からの続きにもなりますが、私が理想とする最終的なゴールはここです。
そしてこれが、ゴールであると同時に、自立した選手とコーチとしてのスタートラインになるのです。

最後に、冒頭で私は日本の長距離界には洞察力と想像力が欠けていると述べました。
ではこの二つが効果的に発揮されるには何が必要でしょうか?
恐らく、選手への「思いやり」がなければ、本当の意味で洞察力や想像力は発揮されないのです。
常に選手の今の状況を考えること。
そうすれば「あいつはこういう選手だ」と決めつけて済ますことはないはずです。
選手を過度に束縛することも、選手の人格を否定するような言葉を浴びせることもないでしょうし、コーチや教師に表現の幅があれば体罰に発展することもないでしょう。
結果を出しているかということより、これこそが私が何より大事にしたい点です。
日本の長距離界には欠けているとしましたが、私が素晴らしいと思うチームもたくさんあります。
そのチームの中には、しっかり結果を出している日本陸上界のトップ選手とコーチもいます。
そうした人と環境が増えることを、願ってやみません。