2018/03/11

コーチの在り方|コーチの心構えとは

陸上選手に心構えが必要であることは以前の記事
井村久美子さんの「メンタル強化メソッド」
でも述べました。
同様にコーチにも心構えが必要であると私は考えています。
どういった心構えが必要になるか…
そのことを考える前に、ティーチングとコーチングについて、そして私の理想について簡単に述べておきます。

ティーチングとは「教え伝える」ことですから、その行為は基本的に教える人から教わる人への一方通行となります。
一方コーチングとは、「教える」のではなく「対話」をすることで答えを導きだすことを目的としたコミュニケーションです。
日本の陸上界、特に長距離では、ティーチング=コーチングだと誤解されているように思えます。
対話ではなく、一方通行の指導を厳しくすることで、選手の精神障がいや体罰をはじめとする様々な問題に発展しているように私には思えるのです。

高校の駅伝部であれば、顧問の先生はコーチであると同時に教育者でもあるので、学校によっては生徒を規則で縛り付けるようなこともまかり通るのかも知れません。
名門校であれば輝かしい伝統がありますから、「言われた通りにやっていれば間違いないはずだ」と信じる生徒も多いでしょう。
信じられる生徒は、厳しい管理体制に耐えることが出来るのでしょう。
しかし、実業団や市民ランナーのクラブチームともなれば、「コーチの言うことが絶対だ」というわけにはいきません。
対話のない一方通行ばかりが肥大化してしまうと、選手や会員は精神的に疲弊します。

もちろん、対象が初心者であれば最初は一方通行にならざるを得ません。
走り方の知識を伝え、食生活や睡眠についてアドバイスをしながらトレーニングメニューを考え実践していきます。
そこで私が理想とするのは、ティーチングからコーチングへと移行することです。
ティーチングの目的を、自分自身で考えるための基礎を築くこととすれば、ある程度のスキルを身に着けた後は、選手自身が考え、実践していくことになります。
その時、コーチの役割はあくまでもコミュニケーションであり、選手が実践することをサポートすることにあると考えています。

私の理想をお伝えしたところで、それではコーチの「心構え」について考えてみます。

1、目的を伝えること

先ず必要なのは、自分自身のティーチングとコーチングの目的を選手に伝えること。
私の場合で言えば…
・ティーチングの目的は「自分で考え実践するための基礎を伝える」こと
・コーチングは「選手が自分自身で考え実践し目標達成することのサポート」
となります。

目的を伝えるということは同時にコーチングのスタイル、手法などを伝えることでもあります。
選手に自分自身がどういうコーチなのかをプレゼンテーション出来ること。
それはコーチであることの最低条件だろうと思います。

2、約束すること

ティーチングはコーチから選手へ一方通行で教示することになります。
後にコーチングに移行するとしても、ティーチングの間は、
「これをやってください」
「こうやらなければダメです」
というように指導的な内容が多くなります。
ですから、それをやったら、或いは出来るようになったらどうなるのかを選手に説明し、理解を得ることが必要になります。
つまり結果を約束するのです。
出来る出来ないは別として、
「これが出来るようになったら、あなたは1500mを5分で走る力が身につく」
というように結果を示すこと。
スポーツですから、当然100%の約束は出来ません。
そこはある程度曖昧でも良いと思います。
例えば「うちの地区ならインターハイに出られるくらいの実力は身につく」だとかでも良いでしょう。
結果を約束するにはコーチの洞察力と想像力が必要になってくるのですが、それはまた別の機会に述べることにします。

残念なことに、現在の日本陸上界ではティーチングからコーチングへ移行することなく、コーチから選手へ一方通行の指導を常に行っているチームがたくさんあります。
こうしたチームの場合「コーチの言うことは絶対」です。
「コーチの作った練習メニューに口を出すな」
という発言も度々耳にします。
「言われた通りにやれ」
と強制するのであれば、監督やコーチは選手に必ず約束をしなければなりません。
高校生、大学生、実業団を問わず、
「言われた通りにやってどうなるのか」約束する必要があります。
強制の度合いが強まるほど、約束とその保証も大きくあるべきだと私は考えます。
ただし、こうしたコーチの指導の下では、選手が自分自身で考える力を伸ばす機会は極端に少ないことは言うまでもないことです。
本来の意味でのコーチングはゼロに等しい状況なのですから。

そしてこの約束と保証は、特に市民ランナーのクラブチームでは大きな問題となります。
市民ランナーは基本的に本業を持ち、仕事の傍らランニングをしています。
国際マラソンに出るようなエリートランナーであってもそのパターンが多い。
にもかかわらず
「言われた通り練習をこなせ」
「時間がなければ作ってでも走れ」
「誰それに負けるな」
となるのは企業のパワハラ以上に酷い状況です。
こうした状況は、企業として運営されている会費制のクラブではまず見られませんが、市民ランナーが自主的に集まって出来たクラブや駅伝チームに多いと思います。
教える側もボランティアに近いからでしょう。
「こっちも時間作って練習を見ているんだ、しっかり走れ」
となってしまう傾向が強いようです。

企業であれば、就業規則を遵守し仕事をこなせば、給与が約束されています。
市民ランナーのチームでは何もありません。
厳しいトレーニングは生活を犠牲にします。
トレーニングの時間を仕事のスキルアップに使うことが出来たら昇給していたかもしれない。
家族と過ごす時間が増えていたかもしれない。
様々な可能性を犠牲にするのです。
「辞めるか続けるかは選手が選ぶことだ」という反論もあるでしょうが、こうしたチームほど辞めにくいのが現状でもあるようです。
そもそも約束をしたところで、それが叶わなかったとき、その責任をとれるコーチはまずいないでしょう。
であれば、市民ランナーのクラブチームにおけるトレーニングの強制は、根本的にあってはならないことだと言えるでしょう。

3、過度な選手管理をしないこと

実業団、大学、市民ランナーのクラブチームを問わず、必要以上に束縛するコーチの問題は常に存在します。
「コーチは選手よりも目上の存在」である、という勘違いと錯覚から生じる問題であると言えるでしょう。
自分がコーチであることに陶酔してしまっている人を度々目にします。
選手がある程度の結果を出すと「自分はすごい指導者」だとさらに勘違いを重ねます。
このようなコーチは選手が自分で練習メニューを組むことを認めません。
コーチが作った練習メニューに意見することにも嫌な顔をします。
自分は常に人の上に立つコーチでありたい。
そうした欲求の表れでもあるのでしょう。

コーチの練習メニューを強制的にこなさせるだけではなく、私生活、趣味やファッション、交友関係まで束縛したがるコーチもいます。
この傾向はコーチが男性、選手が女性の場合に多く見られるように感じています。
例えば、実業団の女子陸上部の中には髪の色、化粧の仕方、マニキュアなどまで管理するチームもあります。
選手が結果を出せないでいると、競技とは関係のないファッションや趣味を引き合いに出し、
「普段の心掛けがなっていない」
「実業団の選手としての自覚が足りない」
など、ひどい時は選手の人格すら否定するような言葉を浴びせるコーチもいます。

選手もコーチも男性であるチームでは、体罰やいじめに発展するケースが見られます。
先ほど述べた「言われた通りに練習をこなせ」とするコーチの場合で、特に高校駅伝のチームに多い。
こうしたチーム内ではコーチだけでなく、先輩の言うことも「絶対」です。
コーチによる体罰、先輩による後輩へのイジメは、体育会系部活動を隠れ蓑にしているだけの犯罪行為でしかありません。

市民ランナーのクラブチームでは、練習日ではない日にいつどこをどれだけジョギングしたか、何を食べたか、就寝と起床時間はいつかなど、事細かに聞いてくるコーチや、自分が好まない人と選手が会話していると「あいつとは話すな」と交友関係まで制限しようとするコーチもいて、これはもう過度な管理どころか異常です。
最も問題なのは、コーチ自身が「異常な事態」に気づいていないケースがあること。
最近メディアで騒がれている女子レスリングのケースも、もしかしたら似ているのかも知れません。
いずれの場合にせよ、コーチは選手に対する支配欲に溺れてしまうことがあってはなりません。

今回の記事を踏まえて、次回は「コーチに必要なこと」を考えてみようと思います。