2016/04/17

旅する詩人|三角みづ紀


旅はこころのありようを問うもの、と幸田文は書いています。
「旅」と「走」はとても似ています。

一人旅が苦手な人は、恐らく一人で走るのも苦手です。
トレーニングも幾人かで行わないと面白くない、と考える人が多いようです。
一人旅が好きな人は、一人で走ることを好むようにも思います。
一人は孤独です。
でも独りでいられる人でないと、こころのありようを問うことは出来ないでしょう。
本物の走者、本物の旅人は、きっと独りです。
独りで想い、独りで動く。
独りを確立させることが出来て初めて、他者と関わることも出来るのではないでしょうか。

先日は寺山修司について書きましたが、今を生きる詩人で最も好きな人を挙げると、三角みづ紀さんの名前が出てきます。

三角さんは、旅する詩人です。
旅先からたくさん絵葉書を送ってくださって、それが私の宝物になっています。
今の日本を代表する詩人と言っても良いのではないかと思います。

その三角さんの詩集に「隣人のいない部屋」があります。
スロヴェニア、イタリア、ドイツを旅した際に執筆された作品で構成されていて、独りで旅する思考が凝縮されています。

例えばランニングであれば、記録の為に走る、という意識が強くなってしまうと、走ることそのものを楽しむことが出来なくなることがあります。
旅も同じです。
移動をつづける
町から町へ、町から島へ
そうやって徐々に
目的だけになって
する ことを
する ために
風景がしんで黒い額縁に飾る
ひどく疲れているのかもしれない
もうすぐサンタルチア駅だ 
(詩集「隣人のいない部屋」より)
「風景がしんで黒い額縁に飾る」…これをランニングに置き換えると、走ることは痛苦でしかないように思えてきます。
目的を見失うのとは違います。
明確過ぎる目的が、精神を細く削ります。

何のために走っているの?
現役の頃からよく耳にする質問です。
20歳の頃は答えられませんでした。
旅することも、走ることも、「こころのありようを問うもの」であるならば、この質問は「こころのありようを問うてどうするのか?」と言い換えることが出来ます。

何故こころのありようを問うのか?
自分を見つめてどうするのか?
私は走ります。
少しですが私も文章を書きます。
走ることを思考に、書くことを速度に。
生きることを、人生を肯定するために。
私の人生は自分で肯定するくらいの価値はあるはずだと。
静脈にのって
輪郭をそこないつつあるが
とめどなく進む
青の洞窟を抜けて
わたしたちは愚かだが
生きる価値くらいはある
(詩集「隣人のいない部屋」より)
人生はマラソンではありません。
旅でも詩でもありません。
でもマラソンや旅、或いは詩を書くことは、人生を肯定する手段になるはずです。
三角さんは、日常のすべてを詩にすることで、生きることを肯定している詩人なのだろうと思います。
だからこそ私は三角さんの作品から、「私たちは生きている」という強いメッセージを感じます。

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