2016/04/11

走ることは思想なのだ|寺山修司


「好きな詩人は?」と訊かれたら、青森県三沢出身の寺山修司の名前を真っ先にあげます。
寺山修司は、戯曲作家、映画の脚本家と監督、詩人、歌人など多方面で活躍した人です。

この寺山の作品に「さらばハイセイコー」という詩があります。
その中にある一節…
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
競馬を愛し、競馬に関するエッセイも多数執筆していた寺山が、ハイセイコーが引退するときに書いたものです。
陸上競技とは全く関係ないのですが、走る人に向けて書かれた詩のように思えてなりませんでした。
「うしろには夢がない」…大好きなフレーズのひとつです。

寺山の作品を読み進むと、彼ほど「速度」を意識していた作家はいないのではないかと思います。
「書を捨てよ、町へ出よう」の中で寺山は書きます。
あらゆる文明の権力から、自らを守るためには速度が必要なのだ。
時には逃亡のために、或いは故郷を捨てるために、
人の行動すべてには、速度があります。

そして寺山の言葉の中でも最も忘れられない一言
走ることは思想なのだ
ロンジュモーの駅馬車からマラソンのランナーまであらゆる者は走りながら生まれ、走りながら死んだ


学生の時に読んだ「走ることは思想なのだ」という一言の衝撃は凄まじいものでした。

走ることを思想だと考えられるほど、私は真剣に向き合ってきたのだろうか?
走ることそのものを見つめなおすには充分すぎる一言でした。
誰よりも頑張ろうとするのではなく、真剣でありたいと考えるようにもなりました。

走ることに限らず、何かしら思想としての「速度」を明確にもっている人の生き方には奥深いものがあるのだろうと思います。
それが走ることであるなら、灰谷健次郎さんが語る「走」そのものが豊かになるということに繋がるのでしょう。
では寺山にとっての速度とは何か?
書くことは速度でしかなかった
追い抜かれたものだけが紙の上に存在した
彼の生きざまを想うと、書くことだけが速度ではないことは容易に想像ができますが、書くことが速度のひとつであったことは間違いないでしょう。

人は時を見ることが出来ません。
見ることが出来るのは「時計」だけです。
しかし、走っても走らなくても、何かしらの速度が自分の内に存在するなら、時計とは全く異なるその人だけの「時」があるはずです。

自分だけの「時」の中を移動すれば、その後には自分だけの「距離」が残ります。
自分だけの距離を、自分だけの速度で走ればいい。
しかも年齢や国籍に関係なく、スタートとゴールのラインは全員一緒。
陸上競技や水泳など、「よーいドン」で始まるスポーツの素晴らしさは、まさにここにあると思います。
私はたまに、時計を外して走ることがあります。
その時、唯一私が感じる時間は自分自身の鼓動だけです。
「走」を豊かにするには、まず自分の鼓動を感じる事から始めなければならない…そんな気がします。
血があつい鉄道ならば
走り抜けてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう
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